こんばんは、まんぷくです。
Twitter(@manpuku_kansou)でもドラマの事を呟いていますので、良かったらご覧くださいませ♪
こちらの記事では「おちょやん」第104話(第21週「竹井千代と申します」)の感想を書いてます。
GW期間中は、更新が夜中になりそうですよ…(トホホ)。
第104話の感想
「なぜ栗子が千代を見つけられたのか?」に疑問を持ったいとうあさこさんが、あさイチで視聴者に問いかけた…。
こんな記事が話題になっているのを見かけた!
私は「おちょやん第102話」の感想に、「花籠・栗子説」を前提に考えると、辻褄があうのではないかと書いた(良かったら読んでやって)↓
ずっと千代を応援してきた栗子(宮澤エマ)が、千秋楽での千代(杉咲花)の涙に異変を感じ、観劇後の千代を探したんじゃないかなぁと、私は思っている。
春子(毎田暖乃)を押し付けるつもりで道頓堀に来たワケじゃなくて、「鶴亀新喜劇」の1周年公演の千秋楽を見るためだったのだと思う。
とまぁ、これは私の予想であり、ネットニュースを見る限りではどうやら視聴者の大多数の予想のようだ。
まだ放送途中でこれからドラマ中に答えがあるかもしれない(いや、必ずあるだろう)その答えを、視聴者に問いかけるのって、なんか凄いな…!
さて。
千代がなかなか首を縦に振らない。
当郎さん(塚地武雅)、長澤さん(生瀬勝久)の言葉にもなびくことなく、頑なにラジオ出演を断ってしまう。
そんな千代をそのまんま受け入れる栗子がとてつもなく良い。
余計な事は言わない栗子さんが素敵で、私の中の好感度が上がりまくりだ。
千代を追いやった張本人の栗子さんを「素敵」だなんて思うことになろうとは…。
アノ栗子を認めるなんて、正直悔しいが、栗子の千代に見せる優しさはどうやら本物らしい。
栗子が再登場したとき、嫌な予感がした。
千代から家族を奪った栗子さんが、傷心の千代を助けることになって、「栗子は実はいい人だったんだよ!」と押し付けられたらどうしようかと思ったからだ。
今更、栗子を「いい人」のように描いてハッピーエンドに結びつけようとするなんて許せないと思った。
けれど、栗子は栗子だった。
必死で生きてきた、千代とよく似た一人の女性だった。
栗子は、過去に千代から家族を奪ったことを謝った。
謝ったって、決して許されることじゃない。
でも…、言い訳がましい事を一つも言わない栗子には好感が持てる。
栗子だって、大変な人生を歩んできたに違いない。
「あんたより私の方が苦労してる!」って千代に一喝できるくらい、大変な思いをしてそうなのに。
「お金になることは何でも」しながら、たった一人で子どもを育てた栗子なのだから…。
「字」を読むことができない栗子、若い頃の荷物は三味線くらいしかなかった栗子。
同情を誘って許しを請うなんてことを全くしなかった栗子さん…こういうとこに信頼感を持てるわ。
千代は幼い頃からずーっと、周りの期待に応えながら生きてきたと思う。
幼い頃から、母親のような役回りを任され、家の事をすべてやって来た。
「岡安」に奉公に出されてからは、自分の居場所を作る為に一生懸命働いた。
その後の役者人生でも、「女優である千代」「座長の妻である千代」が求められてきたように思える。
いつも近くにいる人たちのために一生懸命働いた千代。
その千代に、栗子さんは「ただおってくれるだけでええ」と言うの、泣けるよね(´;ω;`)
家族を奪った栗子さんが、家族の愛で千代を包む…。
見返りを求めない、全てを包み込むような愛情で溢れているよ…(´;ω;`)
普通のドラマなら、「こんな都合よい展開、私は認めないぞー!」と思うところなハズなのに、「おちょやん」の根底にあるゆるぎない「何か」によって、この状況を心地よく受け取ってしまう私がいる。
緻密な設定があってこそ、成り立つ「栗子と千代」の関係の変化。
そしてそれを表現できる役者がいて、初めて視聴者にその思いが届く。
「おちょやん」の素晴らしさと言ったら、数字ではとても表現できないよ。
視聴率だけで知った顔して評価するのは、ほんっとにやめてほしい。
このクオリティは、語り継がれていくレベル…。これは間違いない。
ところで…。
第104話を見て、改めて感じた一平(成田凌)と灯子(小西はる)の罪の重さ…。
辛い時、苦しい時、千代は芝居に助けられながら生きてきた。
その大切な芝居への思いを、「怖いもの」に変えてしまった不倫野郎が憎い…!!
千代が芝居に復帰して、一平を見返してやるところを早く見せろー!
(そんなシーンないか(;^ω^))
さいごに
「おちょやん」も終盤にさしかかってきました。
以下の記事では、これまでの「おちょやん」を無料で見る方法を紹介しています。
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