こんにちは、まんぷく(@manpuku_kansou)です。
こちらの記事では「おちょやん」第102話(第21週「竹井千代と申します」)の感想や気になるセリフなどを書いてます。
第102話の感想
「お家はんと直どん」の千秋楽の後…。
行く当てのない千代(杉咲花)がいた場所が昔と同じだったのね…(´;ω;`)
帰る家がないというのに、親が夜逃げしたことを誰にも告げずに「岡安」を出て行った9つの千代(毎田暖乃)が重なって見えて、余計に泣けるシーンだった(´;ω;`)
「おちょやん」のいい仕事ぶりに感嘆する思いと、胸が締め付けられる思いで、私の心の中いろんな感情が駆け巡る。
雨というシチュエーションも同じだった。
そして、傘を差した着物姿の女性が現れる…。
30年前はそれが「お家さん」だったんだけど、今回は栗子(宮澤エマ)。
あぁ…、あの道頓堀の乞食たちもいなくなってしまったんだなぁ…と、細かいところにも感慨深いものを感じて、「おちょやん」が登場人物全てを愛情をもって出演させていたため、ちょっとしたシーンでもいちいち感動してしまう。
行くあてのない千代の元に栗子が現れて、京都に連れて帰る…。
「ここで栗子登場ってあまりにも突然だし、ちょっとタイミング良すぎるし、都合よく物語を進めようとしているんじゃない?」
こんな風に思わせといて、実は違うっていうパターンだろうなぁ。(こんな風に思う人いなかったりして)
ここでキーとなりそうなのが、贈り主不明の花籠だ。
あの花籠を贈っているのは、私は一平だとばかり思っていた。
結婚後も届く花籠は、不器用で面と向かって千代に本音を言えない一平が、こっそり千代に送っているのかなぁ…なんて考えてた。
が、あの不倫クソ野郎がそんな粋な事するわけないか…!!!
そこで、花籠の贈り主候補に急浮上してきたのが栗子説!
贈り主が栗子だとすると、今回このタイミングで千代の前に栗子が現れたのも頷けるんだよね。
ずっと昔…。きっと栗子は、活動写真に出演する役者たちの名前の中に「竹井千代」という名を見つけたんだろうね。
栗子は自分が千代を追い出したことをずっと後悔しながら生き続けたのだろう。
そして、ずっと陰ながら千代を応援してきたのだろう。
花籠が初めて贈られてきたのは戦前だった。
まだ千代がハタチそこそこの時だったんじゃなかったかなぁ?
その時からずっと見守ってくれていたのか…。
ひとりぼっちだった千代が女優として活躍し、結婚し、「鶴亀新喜劇」の座長の妻の役割も立派に果たしているその活躍をずっと見ていたの!?栗子!
栗子は、「春子が戦争で両親を失い、自分も病気だから、千代に春子を任せたい」と言った。
なんていう自分勝手な女なんだろう…と思った。
自分の血のつながった孫が可愛い余りに、千代の気持ちなんてお構いなしに…こう思うと腹が立った。
千代が家族を求めて作り上げた一平・千代・寛治との生活も、血のつながりによって奪われた。
千代は「家族」を奪われるばかりで、何一つ得られていないというのに…。
でも…。
栗子はもしかしたら春子のため、というよりも、千代のためを思ってこのタイミングで声をかけたんじゃないだろうか?
病気だからと栗子は言っていたし、1年後の栗子は確かに体調がすぐれないようだ。
でもそれは栗子らしい言い訳…だったんじゃないだろうか?
もともと栗子は、春子を千代に押し付けるつもりはなかったんじゃないかな。
ただ、千秋楽での千代の活躍を楽しみに、京都から観劇をしに道頓堀に足を運んだだけじゃないのかな?
が、千秋楽での千代はいつもとまるで違った。
演技ができなくなった千代を見て、何かを感じ取って「助けたい」と思ってこの提案をしたんじゃないだろうか?
考え過ぎかな…。栗子をいい人にしすぎかな(;^ω^)???
さいごに
「おちょやん」も終盤にさしかかってきました。
以下の記事では、これまでの「おちょやん」を無料で見る方法を紹介しています。
最後まで読んで下さりありがとうございました!
ランキングに参加しています。応援していただけると嬉しいです。
コメント