おはようございます、まんぷく(@manpuku_kansou)です。
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こちらの記事では「おちょやん」第103話(第21週「竹井千代と申します」)の感想を書いてます。
第103話の感想
「おちょやん」は私をしょっちゅう泣かしてくれる。
ドラマを見ていてよく泣く涙もろい私だが、他のドラマで泣くのはたいてい「可哀そうな時」だ。
悲しくて、辛い。
そんな思いで泣くのがほとんどだ。
前作「エール」でも、主人公の裕一の父が亡くなった時は泣いた。
私は、裕一の父の人物描写がいま一つだなと感じていた。
(ホント言うと、裕一の父以外の人たちの人物像も成り立っていなかったと思っているけどね。途中から崩壊してた感が凄まじかったと私は思ったよ…。)
長男の裕一は可愛がる一方で、次男の浩二に対しては冷たかった。
なのに、今までどの表情や動きを見ても微塵も感じる事の出来なかった「浩二愛」を死ぬ直前に唐突にだしてきて、「へ??」って思ったけど、涙もろい私は父の死に泣いた。
「死」などの悲しいエピソードは涙が出やすい。
が、「おちょやん」での涙は全く違う。
私は「喜怒哀楽」全ての感情で、泣かされてきた。
嬉しくて泣いて、怒って泣いて、悲しくて泣いて、楽しくて泣いて…。
そして、こんなにも素晴らしいストーリを見られている「今」があることに感動して泣いて、
そんな朝ドラを作り出した脚本家、役者、スタッフなどへの感謝があふれ出して泣いてしまう。
こんなに様々な理由で泣かせてくれる朝ドラは初めてだ。
第103話では、花車当郎(塚地武雅)が千代(杉咲花)の元を訪れた。
当郎が千代の頑なになった心をほぐしていく描写が、超絶素晴らしくて、嬉しくて嬉しくて涙が出た。
Twitterでも呟いたのだが、千代に始まって、当郎、栗子、春子、長澤の芝居が超超素晴らしすぎて、その表情を一秒たりとも見逃したくなくて、何度も見てしまった。
当郎によって千代の気持ちがほぐれていく描写が、超素晴らしい。千代、当郎、栗子、春子、そして家の外には長澤。役者たちの素晴らしい芝居を一秒たりとも見逃したくなくて、何度もリピした第103話。顔の向け方から目線からまぶたの動きから…溢れ出す登場人物の人柄に、胸打たれた。#おちょやん
— まんぷく♪ (@manpuku_kansou) April 28, 2021
杉咲花ちゃん、塚地武雅さん、宮澤エマさん、毎田暖乃ちゃん、そして生瀬勝久さん…。
役者さんたちが「役になりきっている」というレベルを通り越して、「役そのものになっている」と私は「おちょやん」を見ていて思う。
生まれた時から、千代であり、当郎であり、栗子であった……そこまで感じさせてくれるレベル。
趣味嗜好、考え方、どんな親に育てられ、どんな教育を受けてきて、どんな人付き合いをしてきたのか、どんなものが好きでどんなものが嫌いなのか、どんなことは許せて、譲れないものはなんなのか…。
演じる役のバックグラウンドを全て把握して、それを自分の中に取り込んで、自分自身のものにしているんだろうなぁ。
特に千代なんて、演じている杉咲花ちゃんは23歳かそこらだというのに、45年苦労しながら生きてきた女性の重みと深みを感じさせてくれるのだから、そのオーラには驚かされる。
一応ここで、千代の年齢を確認しておこう。
千代は明治39年(1906年)生まれ。
第103話は昭和26年(1951年)。
今千代は、45歳だ。
私は杉咲花ちゃんが「おばちゃん」を演じることができるのだろうかと心配だった。
前作「エール」では、ヒロインが年を重ねた女性の声を表現したかったからか、途中からやけにわざとらしい「おばちゃん臭い話し方」に変えてきた。
それが聞くに堪えられなかったので、若い女性が「おばちゃん」を演じるのが不安だった。
が、そんなのは杞憂だった。
40代になった千代は、今までの人生経験がもたらす貫禄まで兼ね備えている。
「話し方」一つとっても、声・発声・間のとりかた・息遣いにわたって全てが「千代、45歳」に説得力を持たせている。
他にも、目の使い方やら姿勢やら動きやらなんかを加えて考えると、23歳の杉咲花ちゃんが「千代になりきっている」どころの問題じゃなくて、「千代である」としか言いようがないと思える。
凄いとしか言いようがない。
さいごに
「おちょやん」も終盤にさしかかってきました。
以下の記事では、これまでの「おちょやん」を無料で見る方法を紹介しています。
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