【エール】キリスト教精神が朝ドラのスパイスになるかと思いきやそうでもないか
朝ドラ「エール」では、たびたびキリスト教に関することが出てきました。けれど、そのことが活かされていないような気がしてます…。
「エール」とキリスト教
朝ドラ「エール」では、たびたびキリスト教に関することが出てきました。
音(二階堂ふみ)の両親は熱心なクリスチャンでしたし、音と裕一(窪田正孝)の出会いも教会でした(音は裕一に気付いていなかったけど)。
戦時中に五郎(岡部大)はクリスチャンになり、裕一に聖書を渡しました。
戦後、豊橋空襲により瓦礫と化した街の中で、光子(薬師丸ひろ子)が歌ったのは讃美歌でした。
戦後、裕一が作った曲『長崎の鐘』は、教会の鐘です。
たびたびキリスト教が出てくる朝ドラ「エール」。
なんだけど、今一つキリスト教の精神が感じられずにいました。
亡き安隆が地上にかえってくる話の時も、閻魔大王がいましたね(;・∀・)
キリスト教は愛を問うているけれど、宗教をめぐっての戦争もあるし、私は疑問を持っています。
けれど、だからといってキリスト教を全面否定するつもりはなく、上手く話に活かされるといいなぁと思っています。
その方が、話がグッと面白くなると思うからです。
音が生まれ育った家庭はクリスチャンで、食事前にはお祈りをします。
その割に、結婚して家を出て行った吟(松井玲奈)や音にはキリスト教精神は受け継がれませんでした。
一方で、光子と暮らし続けた梅、そしてその夫・五郎はキリスト教を信じているようです。
ある日五郎は、クリスチャン五郎になりました。
戦争が進むにつれ、戦いに協力する馬具をつくることに良心の呵責を覚え、宗教に救いの道を求めたのでしょう…。
そして、裕一に「戦いに協力する曲を作ってほしくない」と言いました。
ある言葉が、裕一の逆鱗に触れました。
五郎「戦争に行く人が増えれば、無駄に死ぬ人が増えるだけです! 」
(エール第84話)
この言葉に激高した裕一。そしてそれっきり、裕一と五郎は会っていません。(2020年10月27日現在)
その後も五郎はどんどんキリスト教に陶酔していきました。
そして、光子が止めたのにもかかわらず、集会に参加して捕まってしまいました。
五郎「私の体の自由は奪えても、 心の自由は奪えません!」
(エール第89話)
そして、五郎が特高に拘束されている間に豊橋が空襲で焼け落ちました。大事な時に梅(森七菜)のそばにいなかったクリスチャン五郎…。
そのせいで、岩城さんは傷を負いました(´;ω;`)
五郎「僕がバカだった。大事なのは、君だったのに。」
(エール第90話)
梅に再会した五郎は、「僕がバカだった」といいましたが、その言葉の意味はなんでしょうか。
キリスト教にのめり込んでいたことを、バカだといったのでしょうか。
戦争で沢山の命が奪われました。
「命を無駄というな!」
(エール第84話)
裕一のこの叫びは、朝ドラ「エール」の中の言葉の中でも、特に重く受け止めました。
そして、後に洋画家・中井が言った言葉も印象的でした。
中井「戦場に、意味はありません。 」「戦場にあるのは、生きるか死ぬか、それだけです。」
(エール第87話)
人の生死を描く朝ドラ「エール」に本気を感じました。
そして、戦争・生命、そしてキリスト教がどんな繋がりを得て、裕一が五郎から渡された”聖書” がどんな形で生きてくるのだろうかと楽しみにしていました。
が、トラウマを抱えた裕一が『とんがり帽子』を完成させるまでに”聖書”が出てくることもなく、また、教会の鐘である『長崎の鐘』を作曲する時も、キリスト教に関することは一切出てきませんでした。
朝ドラ「エール」はどういうつもりで、話の中にキリスト教を取り入れたのだろうと疑問に思いました。
私は、子どもの頃テレビアニメ「アルプスの少女 ハイジ」を見ていました。
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原作を読んだのは大人になってからでした。
ハイジ 上 (岩波少年文庫) | ヨハンナ・シュピリ, 上田 真而子 | 日本の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon
アニメではばっさり切られていましたが、「ハイジ」はキリスト教への信仰と祈りの物語です。
信じられないようなときにこそ、キリストを信じ、祈り続けることの大切さが書かれているのが「ハイジ」です。
ハイジは、祈っても何も変わらないことを理由に祈りを辞めてしまったことがありました。
が、そのことを反省し、再び祈りを始めました。
キリストを信じ、祈り続けることで、ハイジの周りは変わっていきます。
人嫌いのおじいさんも、再びキリストを信じることで変わりました。
「ハイジ」にはただ信じて祈ることが書かれていたように思います。
もしかしたら違うかもしれませんが、私が読み終えて思ったのは「要するに信じる者は救われるってことか…」でした。
私はこの「ハイジ」の世界にあるキリスト教を信じきる姿には胸を打たれました。
中途半端じゃなく徹底的に神を信じる姿には、説得力があり、私は「ハイジ」の宗教観をとても好意的に受け取りました。
小説の「ハイジ」は本当に面白く、読みごたえがあり、忘れられない内容です。
私は「エール」でも、この小説「ハイジ」で感じたキリスト教の可能性をどこかで見ることができるかもしれない…と期待して見ていました。
それだけに、クリスチャン五郎が梅と再会した時に言った言葉が気になりました。
五郎「僕がバカだった。大事なのは、君だったのに。」
(エール第90話)
キリストを信じたことを今の五郎はどう思っているのでしょうか…。
五郎が家族を第一に思う気持ちを取り戻したのは良かったです。
けれど、家族を一番大切に思っていたからこそ、キリストを信じ危険があろうとも祈りを捧げていたのではなかったのかと問いたい気持ちでした。
裕一が引き出しにしまった聖書が、これからどうなるのか、ひそかに期待しています。
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最後まで読んで下さりありがとうございました♪
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