【エール】第105話の感想♪(第21週:夢のつづきに)
2020年11月6日(金)放送分の感想です。
「エール」第105話の感想
まずは、あらすじから…↓第105話はこんな話でした。
目標を見失った音(二階堂ふみ)のために、裕一(窪田正孝)は鉄男(中村蒼)に詞を書いてもらい、音への思いを音符にのせて歌をつくる。そしてある日、裕一は音を連れて教会にやってくる。裕一は音に、教会でクリスマスのときに開催することになった慈善音楽会で、音のためのつくった歌を歌ってほしいとお願いをする。子供達に歌を教えて、音楽の楽しさを思い出す音。そして、いよいよ、音楽会当日に…
出典:https://tv.yahoo.co.jp/program/78654168/
今回もやってきたよ…、最終回が(;・∀・)
何回終わらせれば気が済むのかね…エールよ…。
そんな最終回(違う)を迎えた第105話は、音は綺麗だし曲も素敵だったし超良い話だった!!
しかし…。
そんな感動的な話だったのに…音の回想シーン見ながら「こんなにいつも歌ってた風にするのっておかしくない?全然歌ってなかったじゃん」と思ってしまった自分が残念だった。
「エール」も二階堂ふみさんも好きなのに…(´;ω;`)
教会の慈善音楽会で主役になった音。
主役になりたいのが音だもんね、それでいいんだよ。
自分が一番で、祭り上げられて拍手喝采されて、自分に酔って自分自身に感動して涙流す…。それが音だよ。
強欲で何が悪い!というのが音なのだから、教会に全く縁がなかったのにも関わらず、クリスマス会で主役かっさらっていっても、「あぁ、これが音なんだよ」と思う以外何もない。
それに、教会だって寄付が多く集まれば万々歳なわけだし、裕一と教会がこうして繋がるのはwin-winの関係だね。
裕一は知名度で客を集め寄付金を増やし、教会は裕一の妻にステージを提供することができた。
それでいいのだ。
にしても…。華ちゃんが家出した帰りに、教会に立ち寄ったのがこうして利用されるようになるとはなぁ。
クリスチャンの両親に育てられた吟と音に、信仰心があるのだろうかと疑問に思ったことがある。
吟は教会へ通っていたので、信仰を捨てていなかったのだと分かった。
吟とケンは教会へ通い、子どもたちとも親しかった。ケンは手製のめんこを子どもたちに渡して、お兄ちゃんの役割を果たしていた。
一歩の音は、教会がこんなところにあったのか…という反応だったので、信仰心は強くなかったと思われる。
音と裕一が出会ったのも”教会”ってことで、教会がクローズアップされるのだけども、”教会”がただ利用されているようにしか見えない。
裕一が五郎ちゃんから渡された聖書は日の目をみることもなく、最終話までいってしまうのだろうか…。
(関連記事:【エール】五郎が裕一に渡した聖書はどうなった?キリスト教を話に絡めたり絡めなかったり…)
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ところで…。教会の椅子に詰め気味で座る吟・ケン・智彦の姿は微笑ましかった。
もう、すっかり 智彦さんちの息子になってるケン。“鉄の女” 千鶴子さんも 笑ってるし、なんだか 幸福感あふれるワンカットです。#エール #朝ドラエール pic.twitter.com/SzvuUhIpr0
— ひぞっこ (@musicapiccolino) November 5, 2020
智彦さんの左側、結構空いていたんだよ。
でもケンにくっついて座っているんだよぉ(≧∇≦)
智彦さんのケンに対する愛情を感じられて、超嬉しかった♪
「エール」気になるSNS
実際の曲を使う、地元とコラボするなど、史実を利用しておきながら、批判されると「フィクションだ」というのでは、あまりに都合がよすぎます。史実を利用すれば、その方面のツッコミも当然入ります。いいとこ取りはできません。
— 辻田 真佐憲@『古関裕而の昭和史』(文春新書) (@reichsneet) November 4, 2020
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以上が、朝ドラ「エール」第105回の感想でした!
最後まで読んで下さりありがとうございました♪
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