【エール】クリスマス慈善音楽会で伝えた思いはなんだったんだろう
教会で行われたクリスマス慈善音楽会…。
対照的だった「裕一・音」と「久志・藤丸」。
クリスマス会でそれぞれの夫婦がこどもたちにどんな影響を与えたのか考えてみた。
二組の夫婦が対照的だった
第105話は、最終回かと思わせてくれるくらい、綺麗にまとまった話だった。
帝国劇場という大きな舞台で主役を演じるという夢を失い(というか自分で消滅させた)、音楽から離れようとしている音…。
そんな音に、裕一はもう一度歌ってほしいとお願いする。
音が歌うステージは、教会だ。
そこで音が歌ったのは、作曲・小山裕一、作詞・村野鉄男の「蒼き空へ」という、音のために特別に作られた曲だった。
舞台上で裕一は、妻への感謝を述べ、そして音が登場。
裕一の弾くピアノのメロディにのせて、音が歌った。
大きな舞台で歌うという夢は破れたが、大きな舞台に負けないくらい素敵な舞台だったと大満足の音…。
そして、ぎこちなかった華ちゃんとの関係も修復…。
とまぁ、いろいろと丸く収まった第105話だったのでした。
そんな第105話で行われたクリスマス慈善音楽会で、一際輝いていたのが、プリンス久志と藤丸夫婦のエンターテイナーぶりだった。
この二人は歌手なのだ。プロなのだ。
人を喜ばせる、楽しませることを最前線でやっている。
作曲家の裕一、作詞家の鉄男だって人を喜ばせるために曲を作っているんだろうけど、その作者が曲に込めた思いを直接大衆にお届けする役目を果たしているのは、歌手だ。
そんな大切な役目を果てしているプロの歌手は、人の心がどんな時動くか、どうすれば掴めるか、きっと分かるんだと思う。
久志と藤丸にとって教会は、小規模なステージだったかもしれない。
けれども、規模の大小なんてふたりにはこれっぽっちも関係なく、全力で観客を楽しませることだけを考えているのだろう。
『リンゴの唄』を歌う二人からは、歌を楽しみ歌を愛し、人を楽しませることに喜びを感じている様子が伺えた。
二人の歌う姿を見て、子どもも大人も楽しみ喜び、素敵なひと時となったことは間違いない。
この久志と藤丸夫婦が、小山裕一・音夫婦と対照的に見えて、これはわざとなのだろうかと思った。
お客様のためにうたった佐藤夫婦に対して、自分たちのために歌ったように見えた小山夫婦…。
教会で行われたクリスマス慈善音楽会は、会を行うことで子どもたちを楽しませるだけでなく、寄付金を募り、そのお金で子どもたちの生活を豊かにするために行われるものだと思う。
生きることに必死だった子どもたちが、ようやく娯楽を楽しめるようになってきた。
子どもたちがどう生きていくのか、大事な時だ。
私は第105話を見終えたとき、裕一と音が、自分たちのためだけに歌っているように見えてしまった。
藤丸とプリンス久志がサンタの服を着て、子どもたちを楽しませる歌を歌ったというのに、音は綺麗な服に髪形で着飾って、子どもたちに何の馴染みもない歌を熱唱していたのだから…。
だけど、教会に身を寄せている子どもたちと、音を重ね合わせてみると、違う見方になった。
子どもたちは生きるのに必死だった。でも新しい時代がきている。
その変化の中で生きていくことは、ワクワクする気持ちあり、怖い気持ちありといったところじゃないだろうか…。
音は昔の自分の夢にしがみついていた。大きな舞台で歌う歌手になることにこだわっていた。
でも、教会で歌ったことで、新たな自分の目標を見つけることができた。
音が自分の中に新しい一面を発見したことは、子どもたちにとっても何かの道しるべになるのかもしれない。
音の思いと子どもたちの思いがリンクして、子どもたちが新たな時代を前を向き歩むことができたら、素晴らしいことなんじゃないかなと思った。
それには、音がこれからも教会に関わり続けることが必要なんだけども。
残り2週間しかないけれど、音が新たなスタートを切った、この教会での出会いを大切にしてほしい。
そんないい話になると嬉しいなぁと思ったのでした…。
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最後まで読んで下さりありがとうございました♪
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